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2008/02/01

浅草地下街

浅草 2008年1月27日撮影

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昭和の面影が残っている。

かつて、地下鉄神田駅、上野駅に、こんな雰囲気の地下街があった。(もっともっと薄暗く汚かったが)

-上野駅のように、おしゃれに造り替えよう。-

ということに、何時なっても、不思議ではない。

(↓続きがあります)

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いや、きっとそういう話は前からあって、何らかの理由で、昔のままなのだろう。

まあ、結果的になのか、何なのか、とにかく、今や貴重な"本物のレトロ"な存在になっているのであった。

遠からず老朽化による大改修は避けられないであろうが、その際には、この昭和のレトロ感を残すべし!と、激しく思う。

間違っても、おしゃれな今風のぴかぴかにしてはいけない。
そういうのは、ヒルズや丸ビルやミッドタウンなど、いくらでもあるから、そっちに任せておけばよい。

使える物は古くてもいい。看板はそのまま使い、天井のパイプは交換をするにしても隠す必要はない。地面のタイルなど中途半端に新しいものは要らない。昔の灰色の地面に戻せばいい。

この地下街が出来たときは、まだ海だった場所 、デックス東京ビーチの中で、昭和が流行っている。台場一丁目商店街である。昭和30年代をモチーフととして造られた空間は、おじさんには懐かしさを、平成世代には新鮮さを感じさせているようで、賑わいをみせている。

このお台場の"街"は、もちろん、古そうにみせる演出であり、つくりものである。

浅草のこの"街"は、正真正銘の本物だが、残念なことに、閉まったままの店も散見され、寂れている。

今や珍しい本物のレトロ感を生かさない手はない。工夫次第で、良い観光名物になれると思うのだが。

浅草地下街

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コメント

こんばんは!
そうそう、今でもレトロ感たっぷりですよね、ここ。
上野はだいぶきれいになってしまいましたが、神田駅もそうなんですか?
そういえば最近神田駅の北側通路は行っていないのですが、たしか数年前までは地下道に床屋さんとか帽子屋さんとかがあった記憶が…。
経営状態も知らず勝手ですが、ぜひ続けてほしいものです。

投稿: あんみつまめ | 2008/02/03 00:40

sugさん、はじめまして。
あんみつまめさんの所で気になるブログタイトルを発見して来ました。

私も稲荷町出身の者ですが、今は遠く遠く離れた場所で暮らしております。恐らく、sugさんと年齢もほぼ同じくらいかと思われます。

このブログに出会えて、どんなに嬉しかったか!!言葉で伝えるのが難しいほどです。特に、古い写真と現在の写真を一緒に載せてあるものには本当に泣きました・・・。あまりにも馴染みのある、「懐かしい」とかの言葉を越えて、もう自分そのもの、みたいな思い出が蘇ります。

超ローカルな話題で恐縮ですが、敷井先生、私もずーっとお世話になっていました。そして、清洲橋通りにあった頃をご存知の方がいらっしゃるなんて!冬、よく風邪をひいては母に連れられ、あの暖房が効き過ぎる待合室で待っていました。そして、急な階段から転げ落ちたこともありました。敷居先生の優しい顔を見るだけで安心した子供の頃を思い出しました。

今は昭和を懐かしがっている流行がありますが、私どもの年代ではついこの間の事であり、台東区に居るとこの浅草のように、現在進行形であったりしますよね。浅草のこの写真を見ると、あの独特な「匂い」が蘇ってきます!

sugさん、これからもノンビリとこのブログを続けて下さい。楽しみが一つ増えて、本当に嬉しいです。
またいつかお邪魔します!

投稿: きゅうり | 2008/02/03 02:42

あんみつまめさん、おはようございます。

神田駅の北側通路は、半年前に行ったのが直近です。
そのときの状況を。

上野駅までには、ぴかぴかにはなっていませんが、
かなり綺麗になりつつあります。もう昭和の雰囲気は消えかかっています。

帽子屋さん、そうそう、ありました。
もう、店じまいをされたようで、トタンの戸が閉まったままです。

床屋さんは営業されています。

印象的な名前の地下鉄歯科診療所さんは、通路の看板が無くなり、今、あるのか、不明です。

もう、昔の雰囲気に戻るのは難しいかもしれないと思っています。

でも、本当、残ってほしいのです。戻ってほしいのです。なぜなら昭和生まれの自分が、どこか否定される気がするのです。

投稿: sug | 2008/02/03 07:50

きゅうりさん、はじめまして。

本当にありがとうございます。

あんみつまめさんのココログに惹かれ、始めたのが去年の6月です。以来、過去の写真を探し続け、今を撮り続けています。

今と昔との写真の対比は、ずっと前からやりたかったことでした。
遠く離れた場所でお暮らしの皆様にお伝えしたいとの思いもありました。きゅうりさんのお言葉に感激しました。ブログをやっていて本当によかったと思いました。


敷井医院さんの昔の場所、清洲橋通りの建物は、現存しています。
ただ、もう人はおらず、廃墟となっており、建て直しになるのも遠くはないと思います。近々に撮影したいと思います。

そうですね。あの階段は急でした。温かみのある雰囲気で、私も優しい敷井先生が好きでした。

5年ほど前でしたけれども、何十年か振りに、風邪で現在の新しい場所で、敷井先生に診ていただきまして、
小さいころ診ていただいたときと同じ優しさをお持ちで、なんともいえない幸せな気持ちになりました。

かつて、私は(いや、おそらく、私たちは)現代っ子などと呼ばれ、最先端の時代を生きていると、誇りとも思える感覚を持ち育ちました。
"今が最先端"というのは、いつの時代でも当たり前なのですが、
ふと、平成の今、自分が生きてきた昔を見ると、あまりの時代の古さに愕然としたりします。

そんな古い人間じゃないはずだったのに。最先端のはずなのに。いつのまにか、古い人間になっていた。
そのようなことは、当たり前でありながら驚きを禁じえません。

きゅうりさんのおっしゃる通り、感覚的には、まさに、ついこの間のことなのです。

この界隈にはまだ、一部に、古さが残っています。残してほしいと願っています。

今が昔とどう変わったのか、どう変わらないのか、さらに、10年後、20年後、30年後、上野・浅草・稲荷町がどうなっていくのか、平成の今を、未来から振り返るときを想い、撮り続けようと思っております。

本当にありがとうございます。これからもいつでもお越しください。お待ちしております。
では、ごめんください。

投稿: sug | 2008/02/03 07:50

ジュリアナ東京があったバブル景気の頃、まだまだ続く経済成長の中、時代の最先端の東京人であることを楽しみ、誇りにも思えていました。

一方、

今以上に、古いままで寂れていた浅草を、当時、馬鹿にし、また、地元民として恥じておりました。

浅草は、暫く昭和初期から中期のままであろう雰囲気でした。
不思議なことに、バブルのイケイケの時代には殆ど何も変わらなかったのに、バブル崩壊以降この20年くらいの間に急速に変わってきたように思います。

この地下街は例外的な存在のひとつです。

今は、その古さが貴重だと思えます。
私も少しは年をとったのでしょう。昭和を否定できない自分がいます。

街は変わりゆく運命ですが、古きよきものは、残せるように思えます。老舗に伝統があるように、街の伝統というものがあってもよいと思うのです。

投稿: sug | 2008/02/03 09:37

浅草の地下街は地下鉄とは別の会社のようですね…。このままの鄙びた形で残ると思います。

投稿: お | 2008/04/28 16:11

お 様
いらっしゃいませ。

浅草地下道株式会社という会社らしいですね。残ってほしいです。

投稿: sug | 2008/04/29 05:10

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